end of shite

敬称略日記

僕にとっては太陽のような

先日友達とお酒を飲みに行った。

その子はお盆休みに入るということで、私は全然次の日も仕事だったけどしこたま飲んだ。

その子が昔働いていた小さなイタリアンで、適当に出してくれる食べ物は全部夢のように美味しかった。

2人ともタバコをアホみたいに吸うけど、その日は他のお客さんがたくさんいたので我慢しながらたくさん飲んだ。宝石のようなアジのカルパッチョを食べながら。

奥さんが飲みに出るのを嫌がるとのことで、お盆休みで実家に帰っている今がチャンスなのだとか。私も私みたいなわけわかんない女と飲みに行く夫いやだよって言いながら私はその子と飲みに行くの好きなので許したって〜とも思ったけど言わなかった。

気がついたら他のお客さんはみんな帰っていたので、お店の人もいっしょにアホみたいにタバコを吸いながらアホみたいに飲んだ。

その子もお店の人(ご夫婦)も、すんごい可愛い子が生まれて保育園に入れなかったり入れたりで大変なようだった。その子は子供が可愛く思えないって言ってて、でもカメラロールには馬鹿みたいにたくさん画像があったので可愛く思っているのでは?と思った。相変わらずアホだなぁ。

その子は全部自分の選択なんだから仕方がない、受け入れるしかないって言ってて、それは間違いなくそうなんだけど、それだけではあまりにも寂しいじゃないって思ったけどそれも言わなかった。

私は子供もいなくて結婚もしてなくてなんなら彼氏もいなくて全然分からなかったからでもあるけど。

ちゃんと仕事して結婚しろってずっと言って来るのでうるせーうるせー言いながらまたたくさん飲んだ。このセクハラモラハラ時代にこんなに結婚しろって言ってくるの親族くらいなのでなんか面白かった。

1時を回ったし酔いも回ったので帰ることに。ご好意で大変お安くしてもらえてめちゃくちゃ恐縮しながら帰った。

私はその子が好きでその子も私のことが好きだった時期もあるけども、お互いに顔が好みだっただけでお互いに性格が最悪だと思っていたし、なんなら今でも思っている。何年も連絡を取り合わなかったり、かと思えばめちゃくちゃ飲みに行ったり変な関係だ。

でもこんなに悪態をつけるのはその子くらいなので末永く飲み友達でいてください。

次の日死ぬほど二日酔いでしかばねのように働いた。

僕たちは思い出せる、何度だって

これは愚痴なんですが、会社が臭い。

どうして臭いかというと掃除のおじさんが床を撫でるモップが完全に腐っていていわゆる牛乳雑巾のような状態になっているのだ。(牛乳雑巾に関してはちびまる子ちゃんの単行本に非常にわかりやすく書いてあるので読んでください。)

掃除した後の方が断然臭くなっている、これいかに。

トイレも床を腐ったモップで撫でるだけで便器などはノータッチなのでとにかく臭い。私はトイレでツイッターをすることを業務中の唯一の楽しみとしているので社内で一番辛い自信がある。

昼前に掃除のおじさんが帰る頃がピークに臭く、それからは徐々に鼻が慣れて何も感じなくなる、それも恐ろしい。ずっとクッセって思ってるのも辛いけど慣れてしまう方がなんか嫌だ。

臭いは強く記憶に残るというけど、もうすぐ契約の切れるこの会社の記憶が、腐ったモップの酸っぱい臭いとなってしまうと思うとふつうに落ち込む。

おじさんのモップを勝手に漂白剤に突っ込みたいけど、かつて勝手にトイレ掃除(快適なツイッター環境のために)したところ総務に怒られてしまったし。確かおじさんの仕事を取るな的な感じで。

掃除はぜんぜんしてくれないけど気のいいおじさんにちゃんと掃除してよオラッって言う勇気もなく、ただ臭さに慣れる自分に絶望して生きるしかないのです。

 

 

 

 

時代は回るしお寿司も回る

帰り道にくら寿司がある。

地方都市の少し郊外にあるくら寿司の巨大な駐車場にはひっきりなしにファミリーカーが出たり入ったりしている。お盆には警備員さんまで立ったいた。

みんなお寿司大好きだな。私もお寿司大大大好き。

通りかかるたびに一貫だけ食べたいと毎回思う。一貫だけでいいので。するっと入ってパクッと食べてしゃしゃっと出たい。8時間労働に大好きな酢飯が沁みるだろう。

少し郊外にあるくら寿司はいつでもファミリーが待っていて、子供たちがまだかなまだかなと大はしゃぎしている。そんな中1人で待つ勇気もないしバスも行ってしまう。

家の目の前にくら寿司があったら、敬愛する北大路公子先生のように1人回転寿司ビールをキメるのに。私が住む街は回転寿司は郊外にしかない。

1人でなんでもできると思っていたのにくら寿司でお寿司も食べられないなんて。

仕事の契約も切れればこの辺に来ることはない。このくら寿司に行くことは未来永劫ないんだと思うと果てしない気持ちになった。

自分の過剰センチメンタルに夏が終わるんだなって思った。

感動を消費してしまっている私は

高校球児の父親がお亡くなりになったとか障害のある弟のためとか災害が起きた地元為にとか実況まで言い出したのほんと嫌で、

なら得意な科目とか教えて欲しいなと思う。

戦争とオーディションと骨

東京に行きました。

今回のメインは好きな俳優の朗読劇を観ることです。戦争の話だったので辛い気持ちになるだろうなと思っていたけどやっぱり辛くなって、でも予想に反してみんな生きてる話でびっくりした、びっくりするのもおかしいけど。戦争の舞台やドラマも結構あるけど辛い辛い気持ちになるからわりと避けてて、でも事実起きた戦争なので避け続けるのも良くないなという気持ちもあって複雑。自分の気持ちが潰れてしまわないよう必死になってしまい物語どころではなくなってしまう。登場人物はもう知ってる人なので死なないで欲しくなるけど、戦争だから彼ら以外にもたくさん死んでて敵もたくさん死んでるし、それを思うともう本当にどうしたらいいか分からなくて戦争ダメ絶対としか言えない気持ち。

戦国時代の話とかはエンタメとして消化できるのに(消化という言い方が適切かはわからないけど)先の大戦はやはり祖父母も経験しているし歴史上の出来事と呼ぶには最近すぎるからこんなに辛い気持ちになるのだろうか。

三越劇場はゴージャスですごく素敵な劇場だった。お高そうな食器や美術品の売り場を通り抜けて行くのが不思議な感覚だった。

 

三越劇場からダッシュで赤坂に向かいシソンヌのライブの当日券に並んだ。並んでる間タバコが吸いたくて吸いたくて劇場の目の前に灰皿もあったのに列から離脱するわけにもいかずぐううとなった。並んでいた仲間たちは(長い時間並びすぎて勝手に仲間意識を持った)みんな当日券取れたみたいで良かった。

シソンヌははちゃめちゃに天才的で、ひとつの隙もなくおもしろかった。特に好きだったのがオーディションコントで、じろうさんの野村くんが怖いもの見たさ的な魅力がすごくて、PVでの歌声がなんか切なくて笑ってしまった。

カテコでのお2人はなんだかしれっとしていてあんな天才的なコントの後で!こんなにしれっと!って驚いた。生で見ることができて本当に良かった。

 

次の日は池袋で観劇。朝食のタマゴサンドの玉子を盛大にこぼして服にシミができ恥ずかしかった。

死にませんようにと強く願った少女がずっと死なないお話。この劇団の舞台は2回目で、1回目は好き俳優を始めて観に行った時でもう2年も前か〜と感慨深い。とにかくストロングで生演奏が胸にずんずん響いて、浮遊する高嶋政宏は迫力がすごかった。全然違う舞台の演出家さんが言っていた『人類という種を個体として見たらすでに不死である』みたいなフレーズをずっと思い出していた。わたしの両手両足は誰の骨でできているのでしょうか。

迷った挙句Tシャツも買ってしまって特典で鬼たちと写真を撮りました。(これは自慢です)

 

池袋のルノワールでメロンソーダを飲んで帰りました。1人で行ったうえに友達もいないので店員さんと鬼としか喋らない2日間でしたが充実しすぎて最高だった。

また行くねTOKYO

嗅がせてくれよ恋の香り

好きな香り羅列

 

・帰り道にある寿司屋のダクトから流れてくる酢飯と漂白剤の混ざった香り

これはすごくいい

 

・同じマンションに住んでる美容部員のエレベーターの残り香

強い女の香りがする

 

・昔付き合っていた男性の赤ちゃんみたいなミルキ〜な香り

いわゆる好き好き大好き超愛してる状態だったので脳内記憶を改竄している可能性が大いにある

 

ヴェレダスキンフード

草みたいな香り

 

嫌いな香りはIQOSです。

わたしも強い女の香りをまといたくてデパートの一階を徘徊する日々、香水ってなんであんなに瓶大きいんだろう。

漕ぎ出せ大海原

もっと若い時に悩む人が多いのではないかという悩みに直面していて、私は今めちゃくちゃ上京したい。

実家はものすごく田舎で、どのくらい田舎かと言うと中学生は必ずヘルメットを被って自転車に乗っているし狩猟が解禁されると無闇に山に入らないようにと各々の家に備え付いていた防災無線でお知らせが来て年に何度かお年寄りが山菜採りから帰ってこれず消防団による山狩りが行われ県の中心地よりは随分寒いけどスキーができるほどでもなくただただ困る程度に雪が降るそんな感じの田舎だ。

中学に上がるまでほぼ古民家と呼べるような広いだけが取り柄でお風呂も薪で沸かすような家に住んでいた。そこから町内にある団地(あまりにも小規模なので団地と呼べるかは謎)に引っ越し、古民家は取り壊されもうダムの底だ。

高校は行ける範囲でいちばん大きなところにした。初めての全校集会ではあまりの人数の多さに立ちくらみがし、近所(といってもバスで20分はかかる)の制服が可愛いだけが取り柄の小さな高校に行けばよかったと心から後悔した。しかし学校の帰りにコンビニやファミレスがありすごく都会にでたなぁと若い私は浮かれた。

実家から通える範囲にある大学は国立しかなくそんな頭のない私はついに大学のそばで1人暮らしを始めた。実家ではエアコンなどつけたことがなかったので夏の暑さに辟易とした。使ったコップは自分で洗わないと汚れたままだという当たり前のことに新鮮に驚いたりした。アパートから歩いて行ける範囲にコンビニやスーパーがあり、宅配のピザも頼めるなんてものすごく都会に出たなぁとわりかし満足した。

そこから就職して、そのアパートから原付で市内中心部まで通っていたのだが、原付捕まりまくり地帯だったこともあり違反が重なりあと一点で免停というところまで来てしまった。もともと乗り物に乗るのが下手くそでいつか死んでしまうと思いながら通勤していたので思い切って中心部に引っ越した。田舎者ゆえにものすごく中心部にしてやった。繁華街から歩いて帰れる、友達もいつでも呼べる。来るところまで来たなって謎の達成感があった。

ある時急激に俳優をものすごく好きになり若手の俳優なので活躍の場が舞台中心で舞台なんてほとんど東京でしかしておらず月に一度くらいのペースで東京に行くように。のぞみでたったの4時間、往復約30,000円(早割で)。行こうと思えばいくらでも行けるもんだなと学びを得る。

交通費が月の家賃を超えた時、もう東京に住んじゃいたい気持ちが急に出てきた。非正規社員だし結婚もしてないし彼氏もいないし数少ない友達はバリバリ結婚していて滅多に会えなくなったしこの地にこだわる理由はない気がする。

高校進学のとき、大学進学のとき、就職する時、県外に出るタイミングなんていくらでもあったのにこれっぽっちも考えていなかった。地元にこだわりがあったわけでもなく本当に思考が停止していた。なんて漫然と生きているんでしょう。

東京に引っ越したって私が変われるわけではないけども私の人生なので決めるのはほとんど全部私だから私が決めないことには何も始まらないな。とりあえず交通費は確実に変わる。

知らない土地への引っ越し、貯金も全然ないし向こうに友達もいないし仕事もないし両親はそんなことしてないでさっさと結婚して欲しいしで不安要素しかないけど、あのクソ寒いくて広いだけの実家にいつだって帰れると思うとどこでだって生きていける気もする。