end of shite

虚無に向けての日記

暴れ回れよ

ちょっと前だけど京アニの放火事件に当たり世間は、少なくともインターネットでは悲しい空気が流れていて、king gnu井口理のANA0でも冒頭からそのことに触れいつものハイテンションラジオからは想像もつかない放送だった。井口さんがまとまらない、と言いながら訥々と語った言葉は私が割と目を背けようとしていたことであり考え続けていることでもあった。

(ニュースをちょっと前とか言うのもちょっと抵抗があって現場の人にはずっとずっと今なんだろうなと思うけど時系列的にちょっと前)

ラジオを聴き、自分がトリガーとなる可能性、具体的に言うとめちゃくちゃに精神をやられている人と改札でぶつかって自分が舌打ちしたことにより最後の何かが切れてしまいその人が電車に飛び込んでしまう可能性、またはその逆、みたいなことを考えている。

がっつり出会って言葉を交わす人とだけで社会は構成されているわけではないのだ。

とにかく人の人生のネガティブな方のトリガーになるのを恐れている人生だ。進路だって医療関係など人の人生の大きな分岐に関わるようなことは絶対に避けるぞ、と固く決心していた。でも今回のことでそういう職業でなくても、生きていて社会と関わるということは誰かの何かのトリガーになる可能性があるということなんだとやっと分かった。分かったっていうか腑に落ちた。

めちゃくちゃに人がたくさんいてめちゃくちゃにたくさんいる人全ての背景を考えることと自分を大切にすることを同時進行するのはかなりの難しさを感じる。

だったらなるべく自分の機嫌は自分で取りたいよね的な世の中なんだけど、それすら難しい気持ちの時めちゃくちゃにある。悲しかったり意地悪だったりするニュースもほとんど見ず、運良く優しい人々に囲まれてのうのうと生きている私ですらめちゃくちゃにある。

それでもなるべく自分のことを好きな状態でいられるように生きていきたい。電車で立っとくのがしんどそうな人には席を譲るし泣きまくり赤ちゃんに辟易としても気にしていない顔をする。それは全人類そうした方がいいとかではなく、そうしないと私は自分のことを嫌いになりそうなので。全て自分のためなのだけど自分のこと好きな状態の人がたくさんいる社会が良い社会じゃないかと思っているので。

自分だけはブロックなんて出来ないマジで死ぬまでの付き合いなので、とても大変だけどもがんばって死なないように生きねば